久下田城跡
久下田城跡は、市街地を北へ約5Kの場所にあり、大字樋口字城山一帯が城跡であったとされていますが、現在指定の城跡は、西は真岡線、東は旧勤行川に挟まれた山王台の突端までとされています。天文14年に下館の城主であった水谷出羽守政村は、宇都宮氏の来襲にそなえて往時藤原魚名の築いた公家営の上館の跡に築城し、下館の岐城としたとあります。第8代勝隆が備中国成羽に移封後廃城となりました。
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